武田氏が黒川金山のために遊女55人を溺死させた「おいらん淵伝説」とは?
鬼滅の戦史122
信玄が敵兵3000の首を敵城前に並べるおぞましさ
また、勝頼勢ばかりでなく、その父・信玄にまつわるおぞましい逸話も、今に伝えられている。
それが、長野県佐久市にある志賀城へ攻め込んだ時のことである。敵である笠原氏の援軍として信玄軍の背後に押し寄せてきた上杉憲政軍。2万もの大軍で、武田軍に襲いかかってきたのだ。
それでも武田軍は、寡兵(かへい)ながらもこれを撃退。敵兵3000もの首級(しるし)をあげ、上杉軍を敗走させたのだ。その上で、志賀城に籠る笠原軍の士気を挫(くじ)こうとして信玄が行ったのが、何ともおぞましいものであった。掻き取った敵兵の首3000を、なんと志賀城の前に並べたのである。これには笠原軍も度肝を抜かれたが、信玄の狙いとは裏腹に、兵士たちの士気が萎えることはなかった。それどころか、逆に憤慨して士気を高めてしまったのだ。
しかし、敵は精鋭を誇る武田軍。水路を断たれるなど苦戦を強いられた笠原軍は、奮闘むなしく、信玄軍に降伏することになってしまった。ただし、勝者となった武田軍ではあるものの、前述の3000もの首を並べたその残忍さが、後世まで語り継がれることになってしまった。名君・名将の誉れ高い信玄の名声に反して、非情で残忍な一面があったことも知られてしまったのである。
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